「教育と商い」の中庸

最終更新: 10月1日


(前回記事:凡人の私がなぜ、論算兼備を唱えるまでになったか?)


わたしが所属した組織は、学校とはいえ、

正式には、一般にいう学校法人(税制でも優遇された認可の教育機関)とは異なる。

株式会社立で学校運営するということは、

つまりは、一般企業(営利組織)そのもの である。


これを経営するには、相当の難しさがあった。



難しさ①  受講者の不利益


まず、わたしの所属部門は、

高校卒が進学する専門学校にあたる

「2年制専門校」だった。


しかし、学校法人とは異なり、


・交通機関の学割が効かない。

・正式な学歴とならない。

・日本育英会の奨学金が使えない


などのデメリットがならぶ。


難しさ②  対外的な批判


・教育は、利益を追求するものではない。

・学校は、利益をあげるところでもない。

・教育は、崇高なもので、ビジネスとは無縁でかけ離れているもの。

・金儲けで、教育をやるのか。

などといった批判は常にあった。

道徳と経済は、一致しない。

教育と経済は、合致するものではない。

という批判と正面から向き合う必要があった。


難しさ③  進路媒体誌や進路相談会に入れない


マーケティング的な観点でいうと、進路媒体誌や進路相談会・説明会への参加は、結婚式場業界でいうところのゼクシィに掲載されるのと同じくらい大きなタッチポイントである。

しかし、株式会社立である専門校は、ここに掲載できないし、入れない。

なので、独自でマーケティングを思考錯誤しなければ、学生たちに、学校の存在を、知ってもらうことすらないのだ。


このような稀有な環境下で、

校舎経営を任されてきたなので、

一瞬でも油断すると、即座に落ち込む。

潰れる。卒業生は母校がなくなる。


こういった緊張感とプレッシャーの中、

24時間、365日、14年間、全力疾走で駆け抜けてきた。


これが、わたしに「真なる教育の目的」「教育と経営のバランス=中庸」を身につけ、格物致知となり、のちに、ここに生涯を捧げる天命にもなったというわけだ。

そういう意味でいうと、新卒で入社した会社が、

学校法人でなくて、本当に良かったと思う。

わたしは、教育者としてのキャリアではない。先生でもない。

「会社という組織」で「教育」という事業の経営を任され、そこで、鍛えられてきたのだ。

◆では、一体なぜ、株式会社立の学校にしたのか?


今でも憶えているが、会社として

職業訓練校「認可」などの選択肢はあった。


しかし、佐藤耕一会長は、

あの時代に、あえて、この道を選んだ。


なぜか? 


「為世為人」という綱領から


“文科省の規制に縛られない教育”


の必要性を考え、「教育ルネッサンス、産学官共同、国際人教育」という3つの「建学の精神」のもと、株式会社で学校運営をすることで、独自の自由な発想を教育環境に活かすという選択をされたのだ


今でこそ、イノベーティブな学校や教育機関が株式会社で設立されるようになり、堀江貴文氏や本田圭佑氏らも、学校・教育に対して、自由度をもたせるべきだと主張し、世の中から、受け入れられているが、1990年代当時は、そんな考えを発しても、ごく一部の人にしか共感されず、むしろ相当、世間の目は、厳しかった。


世の中に、どれほどの人間が、

ここに可能性を見出し、挑戦し、


(そして、ここが大切な点だが)

維持し続けることができただろうか?

言うは易し、行うは相当難し である。


しかし、佐藤会長は一貫していた。


その考えに共鳴した当時の熱い社員たちは、自由な発想をもって、

「世の中にはない学科」を次々に立ち上げた。

当時では珍しい、釣り業界の職業に就くための専攻、

ゲーム関連、スポーツ関連など、次々に、専門学校の新学科をたちあげ、

パイオニア的な存在となり、

若者の夢を実現させるべく、職業に就かせるための教育環境を、

業界を牽引する錚々たるリーディングカンパニーと組んで、

カリキュラム作成、インターンシップをフルに活かし、育てていった。


デメリットを背負いながらも、

文部科学省に縛られない強みを活かした

「独自性」と「便益」がきらりと光っていた。


独自性1

カリキュラムが自由。だから、先の時代に必要な技術や知識を選び、学べた。


独自性2

長期のインターンシップが可能に。

だから、学ぶ⇄働く、高速インプット×アウトプットが実地実行によって身に付く。


独自性3

講師の優位性。各業界のリーディングカンパニーのプロに依頼。

だから、今必要な“生の”技術を教わることができた。


学生からしたら理想の環境。そして、その学生たちが憧れた職場に就く。

そして、業界第一線で活躍する。

この結果が、また、わたしも含めた社員を熱くさせ、

理想・想い・夢やビジョンが会社と個人で共有され、

夢中になって、朝から遅くまで、働きまくった。

信条を、鍛身練能 洗心深智 気宇壮大。

行動指針を、日々是素直、生涯是勉学、万事是陽想とし、

これらを、社員だけでなく、学生にも唱和させた。

また、経営という観点=経営原理では、

経営資源、利益獲得、投資配分という原理として徹底し、

経営に対してもシビアに、業績と向き合った。

このように、佐藤耕一オーナーが創られた環境で、

経験してきたこと、自主的に創造してきたものは、

今でも、私の大きな財産となっている。


この佐藤会長に惹かれた人のなかには、

公教育の世界で活躍されてきた大人物もいた。


わたしにも大きな影響を与えてくださった学校教育の師で、

福岡県高等学校校長会・元会長 青木幹雄先生のその1人である。


青木先生は、高校現場の校長先生を指導するお立場であったことから、

公教育機関におけるリーダーの心得をご指導いただいた。

公教育 VS 会社経営

全く異次元で、常識が常識ではないことも多々ある。

お金の使い方1つとってもそうだ。


青木先生からは、公教育の現場で培われた教育環境、そして、会社経営を常に、バランスが大事であることを忠告いただき、判断に誤りそうなときでも、適切な判断が取れた。

社会科だったこともあり、 「孫氏の兵法」や「歴史」「哲学」

「胆大心小など、リーダーとしての人心掌握・決断実行」、

ときには、教育現場を守るため、ご自身の日教組との闘いについても、

熱心にご教示いただいた。


教育と商い


この2つの狭間に常にわたしは立たされ、

その真理を突き詰めるべく、実地実行を重ねてきた。

失敗もあれば、大きな成功もあり、

今、企業支援をおこなっているが、このベースが大きい。

株式会社立の専門校・カンパニースクールの経営という、稀有な環境で得た「教育と商い」のバランス感覚、中庸という概念は、この14年で培われたまぎれもない財産であった。


わたしは入社して7年で仙台→大阪→福岡と経て、

30歳を前に教育と経営のバランスを徹底的に養い、

大きな結果と自信を手にした。


有数企業と提携し、カリキュラムに落とし、

学生たちに力をつけさせ、就きたい仕事・夢を叶えさせる。


「このまま、我が校舎をどこまでも発展させていこう」


と息巻いていた矢先、佐藤会長は、私に次なる大きな試練を与えられた。

大赤字校舎・エリアへの転勤である。


そこで起きた事件と、会長の一言とは?

(次回に、つづく)

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